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砕け散るところを見せてあげる[竹宮ゆゆこ]

砕け散るところを見せてあげる (新潮文庫nex)

周辺情報

竹宮ゆゆこさんによる作品はゴールデンタイム以来。調べてみたら新作という程新しいものではない様子。
一般文芸として出版されているがライトノベルと同じ感じで読める。 カバーのイラストはおやすみプンプン等で有名な浅野いにおさんによるもの。

全編を通して読みながら適当に思ったことを書く

自己啓発本ネタ。
置かれた場所で咲きなさい
嫌われる勇気
人生がときめく片づけの魔法
どれも読んだことはない。

常に過去形でイメージするって言うとプロシュート兄貴を思い出してしまう。
「ブッ殺した」なら使ってもいい!

関係ないけど、弾って漢字を見るたびに「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を思い出してしまうので 優秀なタイトルだなぁと思う。

未亡人ギャグ面白い。そういやサケを射出する試みがあったよね。あれも面白い。

本物のヒーローがいるから私は物語が大好きです。
現実でも出会ってみたいものです。

私もヒーローに憧れていました。
いじめを止めに入ったこともあるし、新人にやらせる雑用を止めにいったこともありました。
しかし、成果は1つも出ませんでした。

ああ、この人は本当に孤独を知っている文章を書くなぁ。

自尊心、誇り。私のヒーロー活動は誰からも褒められず、むしろ批判までされました。
きっと何かが足りなかったのでしょう。その答えを、ヒントを今更ながら得ることができたら良いですね。

傲慢さ。というのは確かにあったように思います。新人に雑用をやらせることは絶対に悪いと。 既存のシステムを考慮せずに自身の意見を押し付けていましたから。

1つ足りなかったのは対話。私は自身がそれを見るのが嫌だからという理由でヒーロー活動を行いました。
人のために戦っているつもりが、自分のために戦っていたのですね。
助けを求めることの難しさと、助けたい人々とのドラマは「ひぐらしのなく頃に」のテーマでありましたね。
ヒーローになることよりも助けを求めることの方が難しいのかもしれません。 顕在化、可観測になっていないUFOを見つけることはできないのですから。
いつか。私も助けてと言えるのでしょうか。
いつか。私がUFOを見つけることはできるのでしょうか。

今考えると、ヒーロー三原則はカントの定言命法である
汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ
と同じような意図を感じます。

これは様々な解釈はありますが、私は他人を害さないが故に他人から害されない常に一定のルールを自身に課し厳守せよという意味だと考えています。
定言命法は想像以上に過酷で達成することが困難です。なんせ無条件ということは命よりも優先度が高いわけですから。

自分が思ってることを伝えろ!自分のためじゃなくて相手のために、伝えなきゃいけないって時もあるんだよ!

なんかぐっと来たけど、言葉にできなかったので参照だけ。

よくある仮想敵はサンドバッグなのに対してUFOというのが良いですよね。 不気味で強そうで、しかしひょっとしたら勝てるかもしれないという希望がある。

読んでいると込みあがってくる不安感がUFOの印象とフィットしている。上手な見せ方。

思えば玻璃が助けを求めるために行動したのは鍵の時だけだったんだなと。

今気づいたけど、チャンネルを合わせ、周波数を合わせってのは宇宙人と交信するチャネリングを表現してたのか。
でも、そうすると玻璃が宇宙人でUFOに乗ってる人になっちゃうような。

全部読み終わってからの考察

とりあえずミスリード込みでそのまま読み取れる情報を

まず異変が1つ。清澄の父親は死んだはず。しかし、生きている。
この辺から怪しい代名詞が増えてくる。
清澄が過去に語られた父親と同じ動きをしている。 その描写から母親が玻璃だと読み取れるが、明らかなタイムパラドックスである。

真っ赤な嵐を玻璃が産むが、その人物には母親がいる。自然に考えるのならば清澄の母親だろうか。玻璃には母親がいないはずなので。
真っ赤な嵐は清澄と違う人生を送っているように見える。ぱっと読んだ感じ永久ループものにも読めるが、違うのだろうか。

他の方の力を借りる

自分自身だけでは読み込みが足りないのもあって分からないことだらけなので、ここからは他の方の考察を読んでいく。

【砕け散るところを見せてあげる】の叙述トリックを詳しく解説します - Empty Study

作品基盤としての時系列が非常にまとまっており、大体が理解できる。
しかし、他の方の考察をあさってみても結局最後の一文とタイトルの意味ははっきりしないままという印象。

私はremember11の考察で一番好きなフレーズがあります。

論理的に証明できることだったらそれを信じるし、 証明できないことだったら私は…… ロマンチックな方を選ぶよ

論理的に証明できないこと、すなわち想像の余地がある箇所についてはロマンチックに解釈しても良いという原則です。

最後の一文

そしてみんな、愛には終わりがないことを信じている。

というフレーズには含みがあります。信じている。これは事実とは違うかもしれないけどというニュアンスがあります。
そして、清澄は「永遠に愛し続ける」や「何度でも」といった終わらせない意志がある言葉を使います。
文章の大部分が真っ赤な嵐を清澄だとミスリードさせるために構成されています。
そうミスリードされた場合、清澄の子供が清澄であることになります。これがあり得ないので私達は何か変だと気づく訳ですが。
しかし、清澄の子供が清澄であればこれはまさしく物語がループすること「永遠に愛し続ける」ことが可能になるのかと思います。

そしてタイトル「砕け散るところを見せてあげる」ですが、本文中で砕けるという表現がある箇所を引用します。

膨れてはしぼむ。 ぶつかっては砕ける。 爆発しては燃焼し、融けて混じって変化する。 自在にうねりながら形を変え、やがて運命の設計図を思い出す。 点は線に。線は面に。面は立体に厚みを増して、逞しい肉体が虚空に紡がれる。 新しい俺はそうして創られ、この世界に突如出現する。

これは清澄の出現過程が示されています。
清澄の息子は清澄の命を呼び出そうとしていました。
その結果、突如清澄が出現し永遠の愛を体現しても良いんじゃないのかなと思います。
「私達は砕け散るところを見せられた」のです。 ただ、見せられただけで、融けて混じって変化し自在に形を変えた結果がどうなるのかは読者に委ねられているのです。

ただ、最後に一言。
そしてみんな、愛には終わりがないことを信じている。